Ⅳ【自分の決断と選択を信じて】
「いばらの道への挑戦」
もう一人の〇〇さんもマツと同じ道を選択し愛知県名古屋市の〇〇会社に
家族と共に製品移管で出向することになりました。
約1年間位なので、お互いに神奈川県と愛知県で新社屋(工場)が完成する
まで頑張るかと約束を交わして北海道を後にしました。
こうしてマツが29歳の時に未知の世界へと出発することに。
神奈川県の秦野市に着いて社長に挨拶を済ませ、社宅に案内をして貰って
建物の古さにがっかり、部屋は別だけど共同、風呂なしで汚い、どこに行っても
住む所には、恵まれない自分?これも試練と割り切ってまずは掃除から!
朝は秦野市から登戸の外資系会社へ出勤し、週に一回は秦野市の会社で業務報告と
新会社の打合せ会議、昔はまだ取引先のお偉方に、たまの接待?という流れに
この会社はドラマに出てくるような企業で会社正面入り口にはフロアーがありetc
受付嬢がいて、そうそうレストランみたいな社員食堂があり、多目的ホールがあり
とにかく広く自分の部署に行くのに最初は迷った位です。
外資系の会社では、移管製品の品質管理と生産工程の管理及び製造技術の習得を
していました。
仕様書や組み立て手順書類は英語呼び表記で、豆単語辞典を常に携帯していましたね。
住む所には恵まれなかったけれど、出向先会社の品質管理部門の部長さんや同僚の方は
親切に接してくれて色々な知識を教わりましたね。
外資系での仕様書の作成や関連書類の考え方や作成方法、同僚からは自分の出世には
関連部署のどの部長と親しく接するかなどの派閥について
お歳暮、お中元は自宅に直に届けるとか?自分の手帳に書きとどめる事など勉強には
なりました?マツには直接関係はなかったので聞き流す程度でしたけど、登戸にある
支社での出向は6ヶ月程度でOKがでて終了に、最終日に部長さんから給料も安いし
北海道の新会社だって苦労するだけだから、支社勤務は難しいけど静岡県にある工場に
斡旋して入社できるようにするから、残らないかと親身に話してくれたことを今も
覚えています、ありがとうございました。
一流企業の外資系に入れるチャンスを断った自分に後悔はありません。
人の顔色をうかがいながら、決められた道で仕事をするよりも、もっと違う何かがある
ような気がしていました。
今度は秦野市にある、生産している工場で製造の実践経験と管理業務をすることに
なりました。
人生というのは、
決して振り向いてはいけないものなんだと思います。
(グレース・ケリー)
不平不満を言うために一刻たりとも時間を割いてはならない。
そんな暇があるなら、自分の理想を追い求め、
それを実現するために、時間を活用すべきだ。
(ラルフ・トライン)
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